この本の目次
第1章 あなたはだれ? そして、僕はだれ?
第2章 どこまでも、わけが知りたい
第3章 作り話がほんとうらしいってどういうこと?
第4章 「~すべき」は「動物としての人間」の特徴である
この本の要約
人間は「物語を作る」動物である。というか「物語を作らずにはいられない」動物である。物語を円滑にするために人間は「AだからBである」という因果関係を思い込みで作りあげてしまう。例えば震災の時に石原都知事が「これはやはり天罰だと思う」と勝手に理由づけしたように。勝手な思い込みで「~だからである」「~であるべきである」を作らずにはいられないのが人間。それが現実世界、または他人の思い込みとギャップが生じちゃうので人生は苦しい。「物語を作らずにはいられない」という人間の特性を知ったうえで、できればその良い面だけを享受して生きたいナ!ってのはムシが良すぎでしょうか?
この本で印象に残った所
私は本を読んでいて印象に残った部分のページの端を折るようにしてるんですが、正直、この本の第1章を読んでいって全くページが折れませんでした。はっきり言って「眠たい本だな」と思ってましたスンマセン。しかし、第2章以降、ものすごい勢いでページが折れまくり! かなり気づきの多い本で大満足でした!
因果関係が明示されると、なぜ物語として滑らかな感じがするのでしょうか? それは、できごとが「わかる」気がするからです。どうやら僕たちは、できごとの因果関係を「わかりたい」らしいのです。(中略)人間とは、世のなかのできごとの原因や他人の言動の理由がわからないと、落ち着かない生きもののようです。(53ページ)
「嘘でもいいから説明がほしい」という小見出しの文です。この部分、本当に電流が走りました! 思いあたる節ありまくりませんか!? ワイドショーのコメンテーターの無責任なコメント。例えば「ロリコンアニメファンだからこんな犯罪犯した」みたいな。あれって嘘でも無責任でもいいんです。それっぽい因果関係を視聴者に与えれば視聴者はなんかホッとするんですね。
人生のなかには別にこれといった原因なんてないこともあるでしょう。でも「なぜこうなったか」を無理矢理にでも作らないと人間は不安で不安で苦しい。自分のなかで物語ができないと死ぬほど苦しい生き物なんですね、人間って。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ! (100ページ)
アンパンマンのマーチの一節。生きることにまで理由を求めてしまうという人間ならではの苦悩を端的にあらわしていますね。
僕は本書第2章で、「人はできごとの理由を知りたい」と書きましたが、こういうものを見ていると、むしろ「人はできごとの理由を自分の知っているパターンに無理やり落としこみたい」と書いたほうが正確だったかもしれません。(136ページ)
こういうヤツいるいるwwwって思いません!? 本当に人間って勝手ですけど、そうしないと死ぬほど不安なんでしょうねー。
人は僕の欲求を満たすために存在・行動しているわけではありません。また僕も人の欲求を満たすために存在・行動しているわけではありません。ですから、人が僕の欲するとおりに行動しないのは当然のことだし、また僕が人の欲するとおりに行動しないのも当然のことなのです。(167ページ)
<小雨が降ってくる。表にいる。傘を広げる。それだけでいい。「また雨か、イヤだな!」とか言ったところで、なにかマシなことがあるだろうか。雨滴にも風にも、なんの影響も与えない>(アラン『幸福論』第六三プロポ〔1907〕、拙訳) (174ページ)
自分の型にハマらないことや、思いどおりにならないことって、人生ではいっぱいあるけど、ま、しょうがないですね。そのことに割り切れたときに、人間はものすっごく楽になるんでしょうね。
ちなみに私はパチンコスロットで「自分ではどうしようもない、どうにも納得できないことも起こりうる」という経験を数多く積んできました。だからけっこう割り切れてるほうじゃないかなw
この本を読んで「物語を作りたがる」人間の厄介さがよくわかりました。筆者がおっしゃるように、私もこの特性を理解したうえで、その美味しいところだけをかっさらって、楽しい人生を生きたいと思いました。